Paid In Full /  EricB. &Rakim-ヒップホップの芸術性を決定的に押し広げたフローの構造

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Paid In Full / EricB. &Rakim-ヒップホップの芸術性を決定的に押し広げたフローの構造

ヒップホップの歴史を語る上で、決定的な“断層”がある。1987年にリリースされたEric B. & Rakimのデビューアルバム『Paid In Full』だ。本作は単なるヒット作ではない。それまで「パーティーの盛り上げ役」だったラッパーを「孤高のリリシスト(アート)」へと変貌させ、ラップという表現そのものを再定義した一枚だ。

本稿では、当時からシーンを見つめてきた筆者の視点と、HIPHOP評論家・小林雅明氏による緻密な分析を引用し、なぜ本作が今なお「史上最高」の名を冠されるのかを深く掘り下げていく。

1. ヒップホップの歴史を「前」と「後」に分けた衝撃の一枚

1987年、ニューヨーク。何が起きたのか?

1980年代半ば、ヒップホップはRun-D.M.C.に代表される「ロックとの融合」や、威勢の良い掛け声が主流だった。多くのMCは声を張り上げ、ビートのオンタイムに忠実なシンプルなフロウを披露していた。

そこに現れたのが、ロングアイランド出身の若き才能、Rakimだ。彼は叫ばなかった。代わりに、ジャズのサックス奏者のように自由自在な拍子で、低いトーンのまま複雑な言葉を紡いだ。この「クールで知的」なスタイルが、ニューヨークのストリートに衝撃を与えたのだ。

Eric B. & Rakimという異質なデュオの誕生

DJのEric B.とラッパーのRakim。この二人のビジュアルもまた、当時のファンを虜にした。グッチなどのロゴを大胆に再構築したDapper Dan製製のセットアップに、重厚なゴールドチェーン。彼らは「金を手に入れる(Paid In Full)」というストリートの野望を、暴力ではなく、圧倒的な「スキル」と「知性」で体現してみせた。


Rakimが表現した「フローの構造」

中間韻、頭韻、母音韻。小林雅明氏が解き明かすリリックの構造

Rakimの凄さは、単なる声の良さではない。そのリリックの構造にこそ真髄がある。音楽評論家の小林雅明氏は、その著書『ヒップホップ名盤100』において、Rakimの技法を極めて鋭く分析している。

 

Rakimは、中間韻の他にも、頭(alliteration)や母音韻(assonance)なども自在に駆使している。同一ライン内で出てくる語が、同じ音の子音または文字で始まっている頭の例としては、Run-D.M.C.が有名な早口言葉を引用した「Peter Piper」もあるが、同じ1986年リリースの「My Melody」でRakimは 「With wisdom, which means wise words being spoken」と「w」で始まる語にこだわっている。(小林雅明『ヒップホップ名盤100』より)

 

このように、Rakimは行の最後だけで韻を踏むというこれまでの常識を破壊した。文中で特定のアルファベットを連続させる手法や、母音の響きを統一させる手法は、現代のラップでは当たり前だが、すべてはここから始まったのだ。

「叫ぶ」から「語る」へ。マイク・コントロールの革命

さらに小林氏は、「I Ain’t No Joke」を例に、Rakimの音響的なアプローチについてもこう述べている。

 

冒頭の「I ain’t no joke, I used to let the mic smoke」での「joke」「smoke」に共通する発音記号の「ou」あるいは「o」の音が、一曲を通じて多用され、その統一感が韻とはまた別の、独自の音(響き)の流れを生み出している。(小林雅明『ヒップホップ名盤100』より)

 

この「独自の音の流れ」こそが、RakimをGod MCたらしめる所以だ。彼は言葉を単なる意味の伝達手段ではなく、音楽的な「楽器」として扱った。そのリラックスしたフローは、当時のリスナーに「マイクの前でこれほどまでに自然体でいいのか」という驚きを与えた。


3. プロダクションの魔法。Marley Marlとサンプリングの美学

「Eric B. Is President」誕生の裏側

本作の屋台骨を支えたのは、Eric B.の提案と、伝説的プロデューサーであるMarley Marlの職人技だ。特に衝撃的だったのは、先行シングル「Eric B. Is President」である。

小林雅明氏の記述によれば、この曲の制作背景には興味深いエピソードがある。

 

盟友Eric B.に花を持たせるため、意図的にクレジットから外したようだが、この曲の95%はMarley Marlが作り上げたものだ。Eric B.の提案による、当時のクラブ人気曲フォンダ・レイ「Over Like a Fat Cat」のベースラインをカシオのシンセサイザーCZ-101で弾き直し、さらにジェームス・ブラウン「Funky President」のドラム・ブレイクを名機AKAI MPC60でサンプリング。(小林雅明『ヒップホップ名盤100』より)

 

AKAI MPC60とカシオCZ-101が刻んだビート

このプロダクションにおける最大の功績は、単なるコピーではなく、緻密な再構築を行った点にある。小林氏が指摘するように、ドラマーのクライド・スタブルフィールドによる「ゴーストノート(微かな音)」までサンプリングで再現したことで、ビートに血の通った躍動感が生まれた。この手法は、その後のサンプリング・ヒップホップの黄金律となった。楽器を弾けなくても、既存のレコードから魔法のようなループを作り出す。その創造性がこの一枚に凝縮されている。

まとめ:

『Paid In Full』は、35年以上経った今もなお古臭さを感じさせない。それは、本作が流行を追ったものではなく、「ラップとビートの構造的な真理」を突いた作品だからだ。

小林雅明氏が「本作で彼が示した手法に即して、その後のMCやリスナーはライムやリリックを考えるようになった」と結論づけている通り、私たちが耳にする現代のラップのDNAには、必ずラキムの血が流れている。

もしあなたが、今一度ヒップホップの深淵に触れたいと思うなら、このアルバムをで体感してほしい。そこには、言葉が音楽へと昇華される瞬間の奇跡が刻まれている。


30年以上経っても色褪せない「静かなる革命」

周囲が派手なパフォーマンスに走る中、Rakimは淡々と、しかし鋭利に言葉を置いていく。

特筆すべきは、アルバム全体の統一感だ。Marley Marlによる「泥臭くも洗練された」ビートと、Rakimの「冷徹ながら情熱的な」リリック。この絶妙なバランスは、奇跡的なマリアージュと言える。

今のラップのような高速トリプレット(三連符)やオートチューンはない。しかし、ここには「一文字の重み」がある。ラッパーがなぜ「MC(Master of Ceremonies)」と呼ばれるのか。その答えは、本作の冒頭からラストまでの流れの中に完璧な形で示されている。これは音楽であり、哲学であり、ストリートの教科書だ。


7. 引用元

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