ヒップホップにおける「ストーリーテリング」を、ひとつの完成された芸術表現へ押し上げた人物の一人。それがSlick Rickだ。
1988年にリリースされた彼の代表曲「Children’s Story」は、単なるヒット曲の枠を超え、ヒップホップにおける「キャラクター性」と「描写力」の基準を塗り替えた。今回は、当時から現在に至るまでシーンに与え続ける影響と、名盤『The Great Adventures of Slick Rick』の真髄を、評論家・小林雅明氏の考察と共に紐解いていく。
目次
Slick Rickがヒップホップに持ち込んだ「物語」
1985年、Doug E. Freshとの衝撃 – MC Ricky Dという異才
スリック・リックの物語は、幼少期にロンドンからニューヨークへ移住したSlick Rickは、1985年頃からBronxシーンで頭角を現した。当時、彼は「MC Ricky D」と名乗り、ヒューマン・ビートボックスの先駆者Doug E. Fresh率いる「The Get Fresh Crew」の一員としてキャリアをスタートさせた。
小林雅明氏は、その鮮烈なデビューについてこう記している。
1985年、NYはブロンクスを活動拠点とするSlick Rickは、MC. Ricky D名義で「ヒューマン・ビートホックス」の異名を持つDoug E. Freshのグループ「The Get Fresh Crew」の一員としてシングル「The Show」(ウラ面は「La Di Da Di」)に参加している。特に「La Di Da Di」はその後すぐに他のアーティストの楽曲に繰り返しサンプルされ……その数はゆうに1000を超えている。(小林雅明『ヒップホップ名盤100』より)
この「La Di Da Di」で見せた、メロディアスかつユーモラスな語り口こそが、後に彼が「ストーリーテリングの王」と呼ばれる礎となったのだ。
アイパッチとゴールド、そして英国訛りの洗練
スリック・リックを語る上で欠かせないのが、その特異なキャラクターだ。ロンドンで生まれ、ジャマイカ移民の両親を持つ彼は、ニューヨークのラッパーにはない「英国訛り」と「洗練されたユーモア」を持っていた。
大きなアイパッチに、首が折れそうなほどのゴールドチェーン。その出で立ちはまるでファンタジー映画の海賊のようだったが、彼がマイクを持つと、そこにはリアリティ溢れるストリートの情景が浮かび上がった。
『Children’s Story』が描く「美しき悲劇」
「昔々、そんなに遠くない昔」――教訓話の構造
アルバムの核となる「Children’s Story」は、タイトルの通り「子供たちに読み聞かせるお話」の体裁をとっている。しかし、その内容はあまりにも残酷で、教訓に満ちている。
この曲以上に教訓話として機能しているのは、「Children’s Story」の出だしの「昔々、そんなに遠くない昔(Once upon a time but not long ago)」が度々サンプルされることになるが、おやすみ前に子供たちに読み聞かせるお話のかたちを借りたうえで、盗みが常習化してしまった若者が……ひたすら追われ、悲劇的な最期を迎えてしまう。(小林雅明『ヒップホップ名盤100』より)
この「Once upon a time…」というフレーズは、その後Snoop DoggやEminem、Mary J. Bligeなど数え切れないほどのアーティストに引用された。リックは、ヒップホップに「伝統的なナラティブ(語り口)」を持ち込むことで、楽曲に普遍的な重みを与えたのだ。
ユーモアと残酷さが共存する「大人のためのおとぎ話」
曲中、リックは警察から逃げる若者の焦りや、銃撃戦の緊張感を、まるでおどけた芝居のように演じ分ける。裏声を使って女性や子供のパートを表現する手法は、小林氏が指摘するように「古典的」ではあるが、リックがやることで唯一無二のエンターテインメントへと昇華された。
悲劇をただ悲劇として描くのではなく、ユーモアというオブラートに包んで届ける。この高度な表現手法こそが、スリック・リックの真骨頂である。
Slick Rickが遺した「言葉の帝国」とその後の影響
Snoop Doggから現代ラッパーまで受け継がれるDNA
編集部として強調したいのは、リックが「ラッパー=キャラクター」という概念を確立した点だ。
スヌープ・ドッグが「La Di Da Di」はプロデューサーのDr. Dreが再解釈した「Lodi Dodi」、そこにはリックへの憧憬だけでなく、その「リラックスした余裕」までもが継承されていた。また、現代のケンドリック・ラマーら現代のストーリーテリング重視のラッパーにも通じる手法だ。
ラッパーを“演じる存在”として押し広げた
リック以前、ラッパーは「いかに自分を誇示するか」に心血を注いでいた。しかしリックは、「物語の中の登場人物」を演じ、客観的な視点から社会を風刺した。
「Hey Young World」で彼が放った「ヘイトのある世界で生きるな」という直球のメッセージが、これほどまでに響くのは、彼が「Children’s Story」のような物語を通じて、暴力や罪の虚しさを描ききったからに他ならない。
まとめ
スリック・リックの『Children’s Story』は、単なる80年代のオールドスクールではない。それは、言葉がビートの上でいかに自由に踊り、いかに深い情景を描けるかを示した「不滅の設計図」だ。1000を超えるサンプリングの数々が、彼の偉大さを証明している。しかし、本当の偉大さは、彼がマイク一本で「ブロンクスの街角」へと連れて行ってくれる、その圧倒的なイマジネーションにあるのだ。
Review:30年以上経っても色褪せない「語りの極致」
今の時代、情報が溢れ、リリックもより複雑化している。しかし、リックのように「たった4分間で一つの人生を語り尽くす」ほどの密度を持った曲は、ヒップホップがどれほど知的で、豊かで、そして切ないものであるかを、時代を超えて教えてくれる。
引用元
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小林雅明 執筆:『ヒップホップ名盤100』(該当箇所:Slick Rick / The Great Adventures of Slick Rick )
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Wikipedia: Children’s Story (Slick Rick song)
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YouTube: Slick Rick – Children’s Story (Official Video)