26年10月最後の日は編集後記は編集長が担当です。
まずは、秋の夜長の暇つぶしの読み物としてチルい時間のお共に。
目次
26年10月の TOPICKS
Nas×NYC市長の対談

“We want it to still be the home.”
いまも、ここが本拠地であってほしい。
HIPHOP発祥の地としての思いや経緯にあふれた短編ドキュメンタリー。しかしこんなところにNASがいたら感激だわ。
Questloveが語るAIサンプリングの是非
Quesloveが語っている。
「私はAIをサンプリング文化と並行するもの[同じ構図で重なるもの]として見ている。」
彼は現在のAI論争を「AIか、AIなしか(The question is ‘AI or no AI?’)」という二項の対立として整理する。
「どうせ普及するのだから波に乗るべきだ」という立場と、「なぜ知的財産を奪って加工するのか」と反発する立場だ。
彼の見解は明確だ。
「補償が行われるべきだと考えている。AIシステムを構築するのであれば、プラットフォームの構築に使われた素材について透明性を保つべきであり、それに対する補償が支払われるべきだ。」
結論、技術の進化と権利処理の摩擦はこれまでも起きていたので、権利や報酬が守られることが大事だとする。
没ネタサルベージ―映画『JUICE』について
以前に映画「JUICE」の記事を書いた。1992年に公開されたこの作品は、90年代初頭のニューヨーク・ハーレムの空気感をそのまま真空パックした、HIPHOP MOVIEの金字塔だ。
レコード、ファッション、DJ、クライムとカルチャーをリアルに描写しているため、これを記事にすると触れる部分が多すぎて薄っぺらくなり、結果没となったが、一部抜粋を紹介したいと思う。
ストリートにおいて「JUICE」とは、喉を潤す飲み物ではない。それは「尊敬(リスペクト)」「権力」「影響力」といった「力」を指すスラングとして知られている。持たざる者が、周囲に自分を認めさせるための「力」そのものを意味する。劇中の4人の若者は、日々の閉塞感から抜け出すための「JUICE」を渇望するが、その代償はあまりにも大きかった。
スパイク・リーの系譜を継ぐ監督アーネスト・R・ディッカーソンの手腕
本作の監督アーネスト・R・ディッカーソンは、スパイク・リーの撮影監督として『ドゥ・ザ・ライト・シング』などを手掛けた人物だ。彼はハーレムの街並みを美化せず、かといって過度に悲劇的にも描かない。ドキュメンタリーのような生々しい質感を保ちつつ、広角レンズを多用して、若者たちが追い詰められていく心理状況を視覚的に表現した。
Q(クイン)が挑むDJバトルの圧倒的リアリティ
主人公の一人、Q(クイン)の夢は大物DJになることだ。映画中盤で描かれるDJバトルのシーンは、本作のハイライトの一つである。当時はPCDJなど存在しない。2台のターンテーブルとミキサー、そしてレコードバッグに詰め込まれた盤だけが頼りの時代。針飛びの恐怖と戦いながら、スクラッチやクイックミックスでフロアをロックする描写は、当時のDJコミュニティの熱量を完璧に再現している。Qが緊張で指を震わせながらも、ひとたび針を落とせば音楽に没入していく姿は、すべてのDJ経験者の胸を打つはずだ。
演技を超えた殺気:2PACが体現した孤独
2PACはこの時まだ20歳そこそこだったが、彼が演じたビショップという役柄は、映画史に残る悪役の一人となった。最初は仲間想いの少年だったが、銃を手にしたことで自己の存在証明を暴力に求めていく過程は圧巻だ。
カメラを睨みつける鋭い眼光、震える指先、狂気に満ちた笑い声。多くの批評家が「2PACは演技をしていたのではなく、ビショップそのものだった」と評したほど、その演技には圧倒的な「存在感」が宿っていた。
共演者たちが語る圧倒的オーラ
オマール・エップスをはじめとする共演者たちは、撮影現場での2PACが常に役柄に入り込み、緊張感を漂わせていたと証言している。彼が放つ孤独なカリスマ性は、物語に重厚なリアリティを与え、単なる青春映画を「ストリートの悲劇」へと昇華させた。
記事をサルベージをした結果
この時に書いた記事を整理してアナログDJ文化にスポット当てて書き直した。いまさら2PACの演技や監督や世界観の事を書いても、当サイト読者には十分すぎるほど理解されているため、説明っぽくなったパートを削りアナログDJについてを執筆したのが下記記事だ。
こういったアナログでプレイする現場の事を当メディアライターのKO1が別記事で当時の空気を執筆している。
「タンテでレコードを回す。その流れている曲を知る為にブース前に陣取り回っているレコードから曲名・歌手名を読み取るというお客さん達がブース付近に群がったらしい。
熱意と必死さは伝わってくるがDJ の方のインタビューを読むと必ずその流れからの
「 いや、お前ら踊れよ 」 のオチまでがセットで掲載されていたのを憶えている。
このパターンに海外組の DJ 陣は
「 だから俺は曲名の部分を削って
気に入った曲は誰にも教えなかったのさ 」
または
「 ホワイト盤で流した時のがっかりした客の顔が楽しみなのさ 」 的な悪ガキエピソードを乗せてくる。」
※引用:【案とヒント】その頃の僕らといったら新しい音の奴隷だった――知らないを楽しめる客でありたい不器用な『ブギーバック』-vol.22-
「我々の世代は
DJ に憧れればそこにレコードがあり
歴史を学んでも当然レコードがある
しかも
レコードを探すのである。
何件も店を回り時には通販で
新譜も旧譜もさらには中古だろうが
更には聞いたことがあっても無くてもレコードを探すし買う。
そして
買ったレコードの店のショップ袋に入れて街中を持ち歩く

更にはショップ袋の持ち方一つでも
袋の取っ手を持つのか
袋に入れたレコードを小脇に挿むように底辺部分を持つのか
その持ち方の話ですら酒が飲めた。
しかも
探し回って買ったレコードを家からクラブに運ぶのだ。
レコ箱に入れてカートを使って街中を歩く


中には
車で 3 箱分ぐらいを先にクラブに運んでいるのに
カートで 1 箱もって居酒屋に集合する。
もちろん
その時のカートやレコ箱の種類の話でも酒が飲めた」
アナログDJ時代ならではのエピソードがたくさん眠っている。
もっと記事内でもそしてあの頃の空気間を伝える記事をもっと増やしたいと改めて思った。
また来月末の編集後記をお楽しみに。