ブルックリン出身の圧倒的な存在感を誇るMC、バスタ・ライムス(Busta Rhymes)。そしてデトロイトが生んだ伝説的プロデューサー、J・ディラ(J Dilla)。
ふたりのプロフェッショナルな関係は、1996年にリリースされたバスタのソロデビュー作『The Coming』から始まり、約30年に及ぶ共同制作の歴史を重ねてきた。2006年2月にJ Dillaが長期の闘病の末にこの世を去ってから約20年が経過した今も、バスタの胸にある彼への敬意が薄れることはない。
2025年11月、J Dillaの母親であるマー・デュークス(Ma Dukes)からの1本の電話をきっかけに、オフィシャル・スタジオ・アルバム『Dillagence II』のプロジェクトが始動した。
目次
約30年にわたる共同制作の軌跡:1996年『The Coming』から始まった歴史
ソロデビュー作での仕事上の関係開始
バスタ・ライムスとJ Dillaの仕事上の歴史は、1996年にリリースされたバスタのソロデビューアルバム『The Coming』まで遡る。
グループ「Leaders of the New School」での活動を経てソロアーティストとして歩み出したバスタにとって、デトロイトのプロデューサーであったJ Dilla(当時はJay Dee名義でも活動)とのコラボレーションは、自身のソロキャリアにおける重要なピースとなった。
この1996年の共作を起点として、ふたりのプロフェッショナルな関係は約30年という長い年月へつながっていく。
1990年代後半〜2000年代の作品群を彩ったJ Dillaのビート
ふたりの共同制作は、ひとつの作品にとどまらなかった。J Dillaはその後もバスタの主要なアルバムへ継続的にプロデュース参加を果たしている。
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『When Disaster Strikes…』 (1997年)
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『Anarchy』 (2000年)
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『It Ain’t Safe No More…』 (2002年)
これらの1990年代後半から2000年代初頭にかけてのアルバムにおいて、J Dillaが手掛けたビートとバスタの力強いラップは独特の音像を生み出し、息の合ったプロダクションを重ねていった。
J Dillaのリズムが生み出したイノベーション【外部補足】
J Dillaが音楽シーンに与えた影響について、各種音楽メディアや研究(Dan Charnas著『Dilla Time』等)では、その独特なタイム感が詳細に解説されている。
彼のプロダクション手法の大きな特徴は、あえて機械のクオンタイズ(自動補正)に頼らず、音の出音位置を微細に前後させる点にある。この走りとタメ(いわゆる「ヨレ」)が同居するグリッドに囚われないリズム構造は、90年代後半のネオソウル/ヒップホップ運動に多大な影響を与えた。バスタ・ライムスは、この先進的なプロダクションを早期から自身の作品に取り入れていたアーティストの一人である。
「彼のようにできる人は今も誰もいない」——バスタが語るJ Dillaへのリスペクト
Dillaの音楽に向き合うたびに生じる大きな感情の揺さぶり
2006年2月、J Dillaはループス(lupus:全身性エリテマトーデス)との長年の闘病の末、その合併症によりこの世を去った。彼が世を去ってから約20年が経った今も、バスタにとってJ Dillaは特別な存在であり続けている。
バスタはインタビュー中、時に声が小さくなり言葉を探しながらも、彼が遺した音楽に向き合う際の気持ちを次のように語っている。
「彼がいなくなってから20年が経つが、彼の音楽に取り組むたび、いつも感情が大きく揺さぶられるような素晴らしい体験になる。なぜなら、彼にしかできないと思えるようなトラックに取り組んでいるからだ。これほど長い間彼が去ったままであっても、彼がやったようなやり方を再現できる生きている人間は他に誰もいない。Dillaの音楽や彼が遺したプロダクション作業をするときは、いつだってそういう感覚になるんだ。」
遺されたトラックと作品を貫く「変わらぬ救い」
バスタのもとには、生前にJ Dillaから直接提供された未発表ビートやプロダクションが蓄積されていた。
バスタは、自身が感じるものや心を動かされる音を選び取りながら楽曲制作を行っている。自身の全プロジェクトにおいてJ Dillaが関与し続けていることは、バスタのクリエイション全体を貫く「変わらない救い(silver lining)」となっている。
遺族と多彩なアーティストが集結した結晶『Dillagence II』
母Ma Dukesからの電話から始まったプロジェクト
最新アルバム『Dillagence II』の制作は、2025年11月にJ Dillaの母親であるマー・デュークス(Ma Dukes)からバスタへかかってきた1本の電話がきっかけとなった。
2026年がJ Dillaの逝去から20周年の節目にあたることから、Ma Dukesは息子の功績を称える方法についてバスタに相談を持ちかけた。当初は1曲の楽曲を制作する意図からスタートしたが、プロジェクトは徐々に拡大し、フルアルバム『Dillagence II』として結実した。バスタはこの依頼を受けたことについて「大変光栄で祝福されたこと」と語っている。
また、Ma Dukes自身もアルバム全体のホスト役を務めており、作品の最初から最後までにわたって自身の胸のうちを語っている。
世代を超えた参加アーティストと制作エピソード
バスタのレーベル「Conglomerate(コングロマリット)」からリリースされた本作は、J Dillaをメインプロデューサーに据えつつ、多彩なゲスト陣やプロデューサーが参加した。
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主な参加アーティスト・プロデューサー:
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ボーカル/MC/客演: ローリン・ヒル(Lauryn Hill)、コモン(Common)、リル・ウェイン(Lil Wayne)、ビッグ・ショーン(Big Sean)、アンダーソン・パーク(Anderson .Paak)、リュダクリス(Ludacris)、タリブ・クウェリ(Talib Kweli)、C.S. アームストロング(C.S. Armstrong)、ハニー・ビー・ビー(Honey Bxby)、ディアンジェロ(D’Angelo:没後の未発表ボーカルでの参加)、ジョン・バティスト(Jon Batiste:楽曲「What We Got in Common」参加)、バスタの子供たち(CIE、Trillian)、ラ・リージー(La Reezy)
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プロデュース/追加プロダクション: カリーム・リギンス(Karriem Riggins)、ケブ・ブラウン(Kev Brown)、ブラック・ミルク(Black Milk)、カウント(Count)、ジェシー(Jesse from Watch the Duck)、ジミー・ジャム&テリー・ルイス(Jimmy Jam and Terry Lewis)
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制作面では、カリーム・リギンスがプロデュースやDillaとの共同プロデュース(「What We Got in Common」等)で参加し、ケブ・ブラウンとブラック・ミルクはビートが展開するシングル「SPAZZ」を共同プロデュースした。さらにジミー・ジャム&テリー・ルイスは、D’Angeloが参加した「This Woman」に美しいキーボードを加えている。
また、ゲスト参加した21歳のMC、La Reezyのエピソードも象徴的だ。J Dillaが亡くなった当時わずか1歳だった彼が、Instagram上でトロリー(路面電車)の側にぶら下がりながらDillaのビートでラップする動画を投稿しており、知人からその投稿を送られたことをきっかけにバスタが参加を決めた。Dillaの音楽が世代を超えて影響を与え続けていることを示す出来事と言える。
2007年のミックステープ『Dillagence』から正式作品へ
ふたりは2007年にも『Dillagence』という作品を発表しているが、これはDillaの逝去後に敬意を表すべく制作されたミックステープであった。
今回の『Dillagence II』は、元記事によると遺族の協力とConglomerateレーベルのもとで仕上げられた、初の公式なフルレングス・スタジオ・コラボレーション・アルバムという位置づけになる。
2027年グラミー賞へのエントリーと「運命的なタイミング」
最優秀ラップ・アルバム部門への提出と実績
アルバム『Dillagence II』は、第69回グラミー賞の「最優秀ラップ・アルバム(Best Rap Album)」部門の審査対象作品として提出(エントリー)された。
元記事によると、バスタ・ライムスとJ Dillaはともに過去にグラミー賞ノミネート歴を持ちながら未受賞であるとされる(※バスタに関しては過去12回のノミネート歴が報じられている)。現時点でノミネートが確定しているわけではないものの、審査対象へのエントリーは双方のキャリアにおいて大きな意味を持つ。
J Dillaの誕生日に開催される授賞式への思い
第69回グラミー賞授賞式の開催日(2027年2月7日)は、J Dillaの生誕日(1974年2月7日)と重なっている。
この日付の一致について、バスタは人の意思を超えたタイミングであると感じており、次のようにコメントしている。
「グラミー賞の放送・授賞式は、実際に彼の誕生日に開催される。もし受賞できたら…どんな気持ちになるか表現すらできない。なぜなら、まず俺自身一度もグラミーを取ったことがないし、次にグラミーが彼の誕生日に放送される確率なんてどれほどあるんだ?」
レコーディング・アカデミー(投票者)へ向けたメッセージ
バスタはグラミー賞の投票権を持つレコーディング・アカデミー会員に対し、本作がラジオやクラブ向けの商業目的ではなく、「優れたプロデューサーとアーティストたちの純粋な芸術性」を表現するために作られた点に耳を傾けてほしいと呼びかけている。
特定目的のヒットを狙うのではなく、音楽というアートの美しさを提示することを目的に制作されたアルバムであることを強調した。
結論・まとめ:受け継がれるJ Dillaのレガシーとふたりの歩み
バスタ・ライムスとJ Dillaの歩みは、1996年の『The Coming』から始まり、約30年にわたって深められてきた。
J Dillaが世を去ってから約20年が経過した今も、バスタが彼への敬意を持ち続け、遺族や多くのアーティストとともに『Dillagence II』を作り上げた事実は、J Dillaの遺したプロダクションがいかにタイムレスであるかを物語っている。
2027年のグラミー賞における評価の行方とともに、彼らが残した音楽的足跡は今後もシーンに残り続けるだろう。
Review
本作『Dillagence II』の制作経緯から見る限り、死後リリース作品における非常に極めて誠実なアプローチがとられている。
著名アーティストの逝去後に音源をまとめた作品の中には、商業的都合が優先されサウンドの整合性が損なわれるケースも少なくない。しかし本作は、J Dillaの母親であるMa Dukesの意向を出発点とし、生前にビートを直接託されていたバスタ・ライムスが主導したことで、遺族への配慮と作品のテーマ性が高い次元で結びついている。
さらに注目すべきは、Karriem RigginsやKev BrownといったDillaと縁の深いプロデューサー陣の参加に加え、Dilla逝去時に1歳だったLa Reezyのような新世代のMCまでをフィーチャーしている点だ。これにより、単なる追悼にとどまらず、J Dillaのサウンド構造が現代のシーンへ脈々と受け継がれている実態が明快に示されている。
グラミー賞のノミネートおよび受賞の成否にかかわらず、約30年に及ぶプロフェッショナルな関係性と遺族へのリスペクトが結集した本作は、死後リリース作品の望ましいあり方を示す重要な一例として音楽史に記録されると筆者は捉えている。