スポーツの試合でファンが着るユニフォームが、いかにして日常着やストリートのファッションとして定着したのか。その背景には、フィラデルフィアの老舗ブランド「Mitchell & Ness(ミッチェル&ネス)」がヒップホップシーンに受け入れられた歴史がある。2000年代初頭、多くのラッパーが色鮮やかなスローバックジャージを身につけていた。当時、スニーカーの色とジャージのチームカラーを揃える着こなしは、ストリートにおける定番スタイルのひとつとして知られている。
本稿では米メディア『Complex』の記事をもとに、Mitchell & Nessの創業からヴィンテージジャージの復刻、ヒップホップシーンでの人気拡大、そして近年のコラボレーションまで、その歩みを振り返る。
目次
スポーツ用品店から始まったジャージ復刻の歩み
1904年創業とユニフォームサプライヤーとしての原点
Mitchell & Ness(ミッチェル&ネス)は1904年、フランク・ミッチェル(Frank Mitchell)とチャールズ・ネス(Charles Ness)によってフィラデルフィアのアーチ・ストリート(Arch Street)に設立された。当時はスポーツジャージを日常着として着る習慣はなく、テニスラケットやゴルフクラブを販売するスポーツ用品店だった。
1925年、事業を拡大して地元の高校や大学のスポーツチームへユニフォームを提供するようになる。1930年代には地元のプロチームにも供給先を広げ、フィラデルフィア・イーグルス(Philadelphia Eagles)やフィリーズ(Phillies)などにスポーツ用品やユニフォームを提供した。
1980年代半ばの依頼とMLB公式ライセンスの取得
ファンに向けたオーセンティックなスポーツジャージの製造と販売という領域を見出したのは、1980年代に入ってからのことだ。
1980年代半ば、1人の男性がMitchell & Nessの店舗を訪れ、実着用の古いベースボールジャージ2着(1960年のピッツバーグ・パイレーツのベストと、1949年のセントルイス・ブラウンズのジャージ)の修理を依頼した。これが、ブランドが過去のジャージ復刻に乗り出すきっかけとなった。1950年代に会社を買収した一族のオーナー、ピーター・カポリーノ(Peter Capolino)が、近隣の工場で見つけた未使用のウールフランネル生地を使って修復した。カポリーノはその余った生地で販売用のジャージを少量追加生産したところ、1着100ドルですぐに完売したと伝えられる。
その後、当初は復刻ジャージの製造を問題視していたMLB(メジャーリーグベースボール)側に対し、カポリーノが製品を提示した経緯などを経て、1988年までに選手名と背番号が入ったジャージを製造する公式ライセンスを取得した。
ヒップホップによる受容と全米への拡大
1998年Big BoiのMV出演がもたらした転機
1994年から1996年にかけて、Mitchell & NessはMTVのセレブリティ大会「Rock N’ Jock」のユニフォームを制作し、ポップカルチャーでの存在感をさらに高めた。だが、より幅広い人気を獲得する契機となったのは、1990年代後半におけるヒップホップシーンでの受容だった。
なかでも転機となったのが、1998年に公開されたGoodie Mobの楽曲「Black Ice (Sky High)」のミュージックビデオだ。出演したビッグ・ボーイ(Big Boi)が「Houston Astros 75-85 Home jersey」を着用したことは、Mitchell & Nessのジャージがヒップホップシーンで広く知られるきっかけのひとつとなった。その後、アンドレ・3000(Andre 3000)、Jay-Z、カニエ・ウェスト(Kanye West)、ファボラス(Fabolous)らがこれに続いた。
Big Rubeがつないだヒップホップとブランド
ラッパーたちの間で広がっていたジャージ人気を、ブランドの販売戦略に取り込むよう提案したのが、フィラデルフィア在住のルーベン・“ビッグ・ルーブ”・ハーレー(Reuben “Big Rube” Harley)だった。1991年から同ブランドのジャージを購入していた彼は2001年、オーナーのカポリーノに対し、自発的にジャージを着始めているヒップホップコミュニティに注力することを提案した。
カポリーノはその提案を受け入れ、ビッグ・ルーブはブランドと大物ラッパーたちを繋ぐ窓口(リエゾン)となった。また中西部では、ドン・C(Don C)が親友のカニエ・ウェストをはじめとするシカゴのサークルに卸売でジャージを供給した。やがて、ラップのパフォーマンスやミュージックビデオにはMitchell & Nessのジャージがほぼ必ず登場するようになった。
急伸した売上とアーティストたちの証言

当時の状況について、ファボラスはComplexの取材に対し、ヒップホップがスローバックジャージの宣伝において大きな原動力だったと振り返っている。自身やビッグ・ルーブが「walking billboards(歩く広告塔)」となり、ジャージの流行を後押ししたと語っている。
ラッパーでありジャージコレクターとして知られるコンシーテッド(Conceited)も、Complexの取材で当時の広がりを証言している。コンシーテッドによれば、東海岸、セント・ルナティックス(The St. Lunatics)、西海岸に至るまで、誰もが真似をしたがる全国的なファッショントレンドであり、ミュージックビデオをつければ目に入るのはジャージばかりだったという。
ジャージ人気はプロレス界にも広がった。WWEでラッパーのキャラクターを演じていた若き日のジョン・シナ(John Cena)も、興行先の都市に合わせたジャージを着てリングに登場していた。
ヒップホップ熱が高まるなか、Complexの報道によれば、Mitchell & Nessの売上は5年足らずで220万ドルから3,600万ドルへと急伸した。
トレンドの沈静化とスタイルの変化
「30歳を過ぎたらジャージは着ない」――Jay-Zのリリックとファッションの変化
隆盛を誇ったスローバックジャージの流行も、2000年代末までに下火となった。ジャージを流行させた当人の発言が、そのきっかけのひとつになった。
2003年、Jay-Zは楽曲「What More Can I Say」のなかで、30歳を過ぎた自分はもうジャージを着ないという趣旨のラップを披露した。
この発言の影響について、コンシーテッドはComplexの取材で次のように述べている。Jay-Zがジャージを軽視し始めたことで、シーンの空気は「これはもうクールではない」という方向へ変わり、洗練された裕福なラッパーたちがジャージを着なくなった。そこにカニエ・ウェストが現れて流れを変えたことで、ブームが衰退し始めたという。
ポロシャツやトラッカーキャップなど他スタイルの台頭
Jay-Zの発言に加え、カニエ・ウェストのピンクのポロシャツ(プレッピーなスタイル)や、ファレル(Pharrell)のトラッカーキャップなど、ほかのヒップホップファッショントレンドが台頭した。
これらの新しいスタイルの広がりにより、スローバックジャージはスポーツの競技場以外では、たちまち時代遅れになっていった。
ストリートウェアとの協業と新世代への適応
Supreme、Kith、Don Cとのパートナーシップ
流行が落ち着いた後も、Mitchell & Nessはストリートウェアとの接点を保ち続けた。2006年に始まったSupremeとのコラボレーションや、2018年に始まったKithとの提携がその代表例である。
Supremeとの関係は現在も継続している。2024年11月にはRealtreeのカモフラージュ柄を用いたパファージャケットや、マイアミ大学、ノースカロライナ大学などのレトロロゴを配したピンクのフーディーを発売した。さらに2026年5月18日にも、デジタルカモ柄を取り入れたデンバー・ナゲッツのジャージなどを含むコレクションを発表した。
ストリートウェアにおける提携の代表例が、パイソンレザーのツバとストラップを備えたJust Donのスナップバックで、2010年代に爆発的に流行した。こうした長年の関係の末、2023年2月にドン・CがMitchell & Nessのプレミアムグッズ部門のクリエイティブ・ディレクターに就任した。
多彩なコラボレーションの展開
近年、ブランドは幅広いアーティストやレーベルとの協業を行っている。
時期が明記されていない取り組みとして、ウィリー・チャバリア(Willy Chavarria)がケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)のスーパーボウルハーフタイムショーを記念して共同制作したフットボールジャージや、ゴルフ・ワン(Golf Wang)がフレイム(炎)柄を配置したNFLギア、サレへ・ベンバリー(Salehe Bembury)によるニューヨーク・ニックスのアイテムなどが挙げられる。
年代が判明している協業としては、2024年4月にトラヴィス・スコット(Travis Scott)のレーベル「Cactus Jack」と共同で大学スポーツのコレクションを発表し、主要大学のキャンパスで学生が行列を作った。2025年10月にはビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)との協業で、ツアー着用スタイルをもとにしたNBAスナップバックを発表した。さらにプレイボーイ・カルティ(Playboi Carti)とは2025年11月に「YVL」NBAジャージを制作し、2026年10月の「ComplexCon 2026」にて「YVL」ジャージ第2弾を発表した。Complexは、カルティの影響力がコレクションの注目を集める一因になったと評価している。
復刻対象の拡大と新世代へのアプローチ
現在、Mitchell & Nessはファナティクス(Fanatics)の傘下にあり、Jay-Zやレブロン・ジェームズ(LeBron James)が少数株主として参加している。
近年のジャージ人気はブランド単独の施策によるものだけではない。カルティらがヴィンテージNBAジャージを着用する一方、ストリートウェアブランドもメッシュやニット素材を用いた新しいジャージを展開しており、過去のスポーツウェア全般への関心が高まっている。
こうしたなか、若い世代の関心を集めるため、Mitchell & Nessは復刻の対象を過去の名選手だけでなく、2000年代以降に活躍した選手にも広げている。年配の顧客がボー・ジャクソン(Bo Jackson)やランドール・カニンガム(Randall Cunningham)に抱く反応と同様に、若い世代も2004年のマイケル・ヴィック(Michael Vick)や2010年のカーメロ・アンソニー(Carmelo Anthony)に関心を持つ可能性があるためだ。
くわえて、細部まで再現するオーセンティックラインだけでなく、200ドル未満で購入できる「Swingman(スイングマン)」ラインを展開している。男子の主要プロリーグに加え、WNBAやMLSのコレクションも揃え、選択肢を広げている。
まとめ:着る側とブランドが築いた歴史
Mitchell & Nessが世界的なブランドとして定着するうえで、ヒップホップが果たした役割は大きかった。ファボラスが自らを「歩く広告塔」と呼んだように、ラッパーたちは製品を着る側であると同時に、ブランドの重要な宣伝役でもあった。その熱気のなかで、売上は5年足らずで220万ドルから3,600万ドルへと急伸した。
2000年代末にブームが落ち着いた後も、Mitchell & Nessはストリートウェアとの接点を保ち続けた。SupremeやKithとの継続的な協業、ドン・Cの登用、そしてカルティら現代のアーティストとの連携を通じて、新たなコラボレーションを続けている。かつてジャージを着ないと歌ったJay-Zが、いまはブランドの少数株主であるという点も、このブランドとカルチャーの関係性の深さを示している。
過去のユニフォームを細部まで再現する一方、復刻の対象には2000年代の選手も加え、若い世代が知る時代のジャージも商品化している。Mitchell & Nessは、ブランドの歴史を守りながら、新しいファンを取り込もうとしている。
引用元
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Mike DeStefano, “A History of Mitchell & Ness, the King of Throwback Jerseys”, Complex(公開日:2026年10月7日 / 閲覧日:2026年11月1日) https://www.complex.com/style/a/mike-destefano/mitchell-and-ness-throwback-jerseys-brand-history